| 「こんなオモロイ奴、みたことない。」 まいど、世間をさわがせたスーパースター。
【初代 桂 春団治】 もって生まれた強い星。落語ニューウェーブは、人気街道まっしぐら。 「いよっ!色男」「後家殺し」。これは、芸人への最大級のほめ言葉である。初代桂 春団治は、道修町の医療問屋の未亡人をめとったわけだから、まさに「後家殺し」を地でいった芸人といえる。 生まれは、明治十一年。五黄の寅である。俗にいう、強運の星のもとに生れ落ちた。その芸風は、一時が万事、派手好みの型やぶり。どんなことをしてでも客を笑わせるのが芸人、と心得る。 「スカタン」「ヤタケタ(弥猛た)」という言葉に代表されるように、その性格は、きわめて自由奔放。 とにかく、やることすべて世間の注目を集め、桂 春団治は、大阪の演芸界を、鳴り物入りで駆けぬけていった。芝居に、映画に、歌に、小説に、その生きざまが描かれるように、まさに伝説的な人物である。 無茶苦茶しても、ちょっとも憎めへん。 大阪人のエスプリを生きた代表選手。 こんな男だから、奇行を数えあげればキリがない。寒い最中に道頓堀川へ飛び込んでみたり、すっ裸で地方興行の呼び込みをしたり、警察のお世話になったことも度々。 高座においても、客をびっくりさせるのが好きで、「ごめんやす、今夜はここから出さしてもらいまっせ」といきなり客席から高座へ上がり、拍手喝采を浴びたこともあったとか。かと思えば、ひいきに呼ばれたお茶屋でのこと。下手な踊りで祝儀ももらえない貧しい姉妹に代わって、春団治は「奴さん」を踊り、山のように集まった祝儀を姉妹に持たせてやったという、泣かせる一面もあった。 うなぎの半助(頭)が大好物だったというのも、なんとなく親しみのわく話である。ちなみに、この春団治は厳密には二代目であるが、一躍有名になったため、初代として通っていることをつけ加えておく。現代活躍中の、あの男前の春団治は、三代目である。
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